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皇居東御苑の紅冬至の梅

皇居東御苑を妻と娘と散策した。皇居東御苑は散策にうってつけだ。二の丸庭園、花菖蒲、そして昭和天皇が武蔵野の面影を残そうと造られた二の丸雑木林がある。

平川門から皇居東御苑に入り、天神壕をみながら、梅林坂を上ってゆく。梅林坂には梅林のなかの一株の紅冬至の梅が、この厳しい寒さのなか可憐な花を咲かせていた。

万葉集に筑前介佐氏子首が詠んだ梅の花の和歌がある。

万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし
-  万葉集 八三〇番 筑前介佐氏子首

梅林坂は文明10年(1478年)に太田道灌が菅原道真を祀り、梅樹数百株を植えたためにこの名があるといわれている。もっとも現在の梅樹は昭和42年(1967年)に植えられたものとのことである。この紅冬至の梅が絶ゆることなく咲くように、万代に人々がこの梅を楽しむことができればいいのだが。

皇居東御苑の魅力は、二の丸庭園や花菖蒲もさることながら、二の丸雑木林だろうと思う。

消えていく武蔵野を救おう、武蔵野の面影をここに残そうとの昭和天皇のご意向が実り、あの雑木林は誕生したのです。…しかし、あまり知られてはいないのですが、この雑木林を作った背景には、もうひとつの大きな理由がありました。…昭和天皇は大正12年の関東大震災をご経験なさっております。…そのときに被災の現場をご覧になって、その悲惨さを身をもって実感されていたのです。「武蔵野の森を残したい」とのお考えになられたのは、実はこの関東大震災のご記憶によるところが大きかった。東京の町から空き地や雑木林が年々失われていく様をお嘆きになり、もし、再び関東大震災のような災害が起こったら、このままでは市民が避難する場所さえなくなってしまうとお考えになられた。ならば、ここに避難場所を確保しよう……それが、二の丸の雑木林をお作りになった昭和天皇のご意向だったのです。避難場所にするためには、ただ広場だけを用意するのではいけない。舗装したり、芝を植えただけの広場だと、夏なんか暑くていられない。だから森を作れ – そこまで考えておられた。しかもその森の中に、一般の市民が歩けるような小道を通せ、舗装はするなという仰せでした。そうすれば、普段は市民の憩いの場となり、非常時には避難できる場所になる。昭和天皇は科学者として厳しい目で自然を観察なさる一方で、こうした非常時のことも常にお考えになり、さらにその上で非常に優しい眼差しを、この皇居の自然に注いでいらっしゃったのです。
- 田中 直(元昭和天皇侍従)平成7年談「皇居の森」

二の丸雑木林の小径を分け入って歩くと、武蔵野の自然のなかに分け入っているようで、東京の真ん中にいることを忘れてしまう。

三の丸尚蔵館の近くに十月桜が2株ほどこちらも可憐な花を咲かせていた。

これから梅林坂の紅冬至や八重寒紅の梅の花が咲きそろってゆくのだろう。また散策するのが楽しみだ。

Categories: Nature.