渋谷のシアター・イメージフォーラムにて。監督は佐々木芽生、出演はハーブ&ドロシー(ヴォーゲル夫妻)、クリストとジャンヌ=クロード、リチャード・タトルら。製作は2009年アメリカ。
郵便局員のハーブと、図書館司書のドロシー、夫婦共通の楽しみは現代アートのコレクションだ。選ぶ基準は二つ。自分たちの給料で買える値段であること。1LDKのアパートに収まるサイズであること。慎ましい生活の中で30年の歳月をかけコツコツと買い集めた作品は、いつしか20世紀のアート史に名を残す作家の名作ばかりに!
現代アートが好きだ。同時代を生きるアーティストとその思考過程を共有することができるからだ。ハーブとドロシーは、現代アートの展覧会をめぐり、興味をもったアーティストを訪ね、作品をみては、意見を交換し、気に入った作品を買い求める。アートを純粋に愛し、金銭的価値やトレンドと無関係にアートと向き合う。
二人のコレクションの特徴はアーティストの思考過程をこっそり覗いているような親密感があること。- ジョン・パオレッティ
アーティストと同時代を生き、アートを理屈で考えるのではなく、ひらすらに”見る”という行為を通じて、心で作品に関わってゆく。
我々の多くは見てるようで何も見てない。だがハーブとドロシーのように”見る目”のある人もいる。見たことが目から直接魂に届くんだ。脳を通らずにね。- リチャード・タトル
佐々木芽生監督はアート市場が高騰するなか、すでに高価になった現代アートの作品を売却することなく、アートを純粋に愛し、収集を続けるハーブとドロシーのことを知り、衝撃を受けて、映画を撮ることを決意する。予算は4倍に膨らんで、銀行から借金をして、アパートを抵当に入れて、この映画を完成させた。
アートを愛するとは何か、アートと生きるとは何か、また資産や知識、社会的地位がなくとも、アートと真摯につきあうことでアートがいかに我々の心を自由にし、生活を豊かに潤すものであるか。自分の情熱を見極め、それに従ったとき、自分が思いもよらない場所に到達できるのではないか。ヴォーゲル夫妻の素朴でありながら情熱的な生き方は、私たちに、アートを越えて「生きるとは何か?」という問いを投げかけてきます。暗く、後ろ向きなメッセージに溢れる今の日本で、お二人の姿が観る人の心をほんのり照らす一条の光となってくれることを祈ります。
佐々木芽生監督はハーブとドロシーの自宅に遊びに行き、おしゃべりをし、食事をしたり、熱帯魚の世話をするなかで、信頼関係を築き、ドキュメンタリーを撮影した。ハーブとドロシーは最初、アーティストを訪ねるシーンは撮影を嫌がったとのことだが、最後には撮影を許してくれるようになったという。この映画のなかで、印象的だったのは、ハーブとドロシーがアーティストを訪ね、作品をみてゆくなかで、素晴らしい作品に出会ったときに、食い入るように作品を見て、その目がキラキラと輝いているところだ。
彼らはまれな存在よ。アートのために全てを投げ打ち、アートのためだけに生き、アートを愛し思いやった。とても純粋なの。- リンダ・ベングリス
この言葉だが、アートをサイエンスに置き換えてみたらどうだろうか?ハーブとドロシーがアートに対してそうであったように、ここまで純粋に、サイエンスのためだけに生きることができるだろうか?