シンシア・スミス(著), 槌屋詩野(監訳), 北村陽子(訳), 英知出版(2009)
原題の”Design for the other 90%”の通り、残りの90%の人々、すなわち途上国の人々のためのデザイン革命についてとそのデザイン・イノベーション実例集である。2007年、アメリカのスミソニアン/クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館において開催された「残りの90%のためのデザイン展」の記録である。
世界の全人口65億人のうち、90%にあたる58億人近くは、私たちの多くにとって当たり前の製品やサービスに、まったくといっていいほど縁がない。
さらにその約半分近くは、食糧、きれいな水、雨風をしのぐ場所さえ満足に得られない。この残りの90%の人々の生活を良くするには、何が必要なのだろうか。
「思い」だけでは、何も変わらない。お金の援助も、それだけでは不十分である。実際に人々のライフスタイルを改善する、具体的な「もの(製品)」が必要なのだ。
本書では、アフリカの地方部に住む人々の水汲みのためにつくられたQドラムなど、デザインだけでいかに世界の人々に貢献できるかという実例を目の当たりにすることができる。
ほとんどの現代のデザイナーの仕事は、世界の大多数の人々には何の影響も与えていない。しかし、デザインには世界を変える力がある。私たちは、まだそれを知らないのだ。
読む進めてゆくなかで、カンボジアの僻地地方のラタナキリにあるインターネット・ヴィレッジ・モトマンが目にとまった。太陽光発電を備えた15の村立学校、遠隔治療診療所、行政事務所のために始まったもので、モバイルアクセスポイントと衛星への信号伝送装置を備えたホンダの5台のオートバイが使われているというものだ。そのオートバイの写真に見覚えがあった。2002年のタイの、Waveというモデルのオートバイだ。東南アジアで人々に愛されるオートバイをつくろうとしていた父のことを思い出した。単なる移動手段としてのモビリティではなく、モビリティの楽しさのあるオートバイをつくろうとしていたのではないか。
デザイン画集は、美しいデザインをみて楽しんだり、インスピレーションを得たり、あるいはふと仕事を忘れてリラックスしたいときに広げるものではないかと思う。ところが、本書を読了したときには、正直なところ、何ともいえない無力感に襲われた。
世界の8億4,000万人以上が栄養不良で、そのうち7億9,900万人は開発途上地域に住んでいる。(CARE)
毎年、5歳以下の子ども600万人が飢えのために命をおとす。(CARE)
安全な飲み水と適切な下水処理を欠いているために、毎日3,900人の子どもたちが命をおとしている。(ユニセフ)
こうした事実がデザイン・イノベーション実例集のなかで、デザインの写真とともに読者に突きつけられるのだ。本書では「デザインには世界を変える力がある」としているが、はたしてデザインで世界を変えられるのかという絶望感に襲われてしまったのだ。
私たちの身のまわりにはデザインや「もの(製品)」が溢れている。しかし、はたしてどれほどのデザインや「もの(製品)」が本当に必要なものなのだろうか?そして、デザインとは何だろうか?発展途上国の人々のための世界を変えるデザインは、実は、私たち先進国の人々の世界を変えるデザインでもあるのではないだろうか。デザインに苦悩する現代のデザイナーこそが読むべきデザイン論ではないかと思う。