絹谷幸二氏は1974年当時史上最年少で安井賞を受賞し、若手洋画家として期待されて最前線で制作を続け、20年以上に渡り東京芸術大学絵画科油画で教鞭をとってきた現代日本を代表する洋画家。アフレスコ絵画の日本における第一人者。その絹谷幸二氏の東京芸術大学の退任記念展に行ってきた。
絵画作品、立体作品など約50点が、初期の油彩の作品から、大学時代の卒業制作「蒼の間隙」(1966)、イタリア時代のアフレスコ習作、最新の作品までが展示されていた。大学の卒業制作「蒼の間隙」は、スキューバーダイビングをしていた学生時代の、蒼い色調の幾何学的な世界である。それが、イタリア・ヴェネツィア留学を経て、氏の独特の豊穣な色彩の世界が開花する。
(氏の故郷である奈良の)仏様に囲まれた町を歩いていると、都だった時代はまさに匂うがごとく、色彩が乱舞していたと想像できました。平和な町には色があり、その色には人々の心を発奮させたり鎮めたりする力があります。しかし、戦地や砂漠など厳しい環境では色は失われる。色彩を駆使することは難しいけれど、だからこそ過酷な世界に身を置き、苦しさを躍動する力に変えてきたつもりです。
豊穣な色彩の作品群、例えば、立体作品である”Open the Box of Pandora”(1990)は溢れんばかりの氏の思いが伝わってきた。一方で、昭和18年生まれの氏がかすかに感じられた戦後の焼き後のにおいを作品にとどめた「ノン・ディメンティカーレ(忘れないで)」(1994)は重苦しいモノトーンとも言える作品だった。氏の若い頃の愛、生と死の悩みを描いた蒼の時代から、イタリア・ヴェネツィア留学を経たあとの、劇的に変化した色彩の横溢の時代へ入り、リンゴをモチーフに死んでゆく万物・無常、それに平和や戦争を描きながらも、浄土や天国、喜び、寺社仏閣、花などを描く「生命の軌跡」に圧倒された。
実は、この展覧会は、併設されていた他の展覧会のついでに寄ったのだが、むしろこの展覧会に出会えたことを感謝している。1/19(火)まで東京芸術大学美術館で開催されている。